オクト。

新規による関ジャニ∞備忘録。 良い事もそうでない事も。

称賛と批判、ネガキャン、他人の意見を許容すること。

あくまでも一個人の考えであり、絶対的に正しいとは思っていません。他の誰かに強要したり、他人の意見を否定したりするつもりも一切ありません。
むしろそうしてほしくない、という話です。


 
少し前の記事にも書いたが、最近"批判への非難"が強すぎる気がする。


 

称賛したい人、批判したい人

 
「称賛」と「批判」に分けた場合、ゆるやかに5つの段階に分けられる。

 
1. 全てを称賛したい
 ・全てを"良い"と思う
 ・"良くない"と思う点も称賛する

2. 称賛したい

3. 称賛も批判もしたい

4. 批判したい

5. 全てを批判したい
 ・全てを"良くない"と思う
 ・"良い"と思う点も批判する


私自身は3であり、そうありたいと思っている。称賛と批判が両方あって、それがどちらも否定されない世界が健全だと思うから。ブログの記事にも、どちらも書いている。
時々2にもなる。批判する要素が見当たらない時、もしくは批判するほど深く関わっていない時等は敢えて批判はしない。*1

5はもうアンチだと思うが、NEWSの手越君がテレビ番組で「批判する人→俺のことを考えてる→だから俺のことが好き♡」と言っていたように、それもひとつの執着ではある。*2

これはあくまでもスタンスの話で、ブログやTwitterで不特定多数に向けて発信する場合、どれが良いとか悪いとかいう優劣はない。SNSは繋がるためのツールに見えて壁打ちである。原則として、言論の自由がある。
ただし特定の1人に向ける場合はそうではない。ファンレター・コメント・リプライ・DMやLINEで送る場合、やり取りは1対1になる。その際は発信する側だけでなく受け取る側の心情も考慮に入れなくてはならない。(前回の記事に書いたように、本人が直接批判を受け取る必要はないと思っているのでその場合の私のスタンスは2になる。これはまた別の話なので機会を改めて)

不特定多数に向けるからと言って受け取る側の心情を考慮しなくてもいいわけではないが、同じ発言でも"良い"と思う人もいれば"良くない"と思う人もいるため、100%は難しい。


 

それぞれのメリット・デメリット

 

称賛のメリット

・良い点が強調される
・プラスの感情が人を幸福にする

 

称賛のデメリット

・問題点が明確にならず、改善がない
・プラスの感情でも人を不快にする事がある

称賛は良い事ずくめだと思っている人も多いかもしれないが、デメリットもある。

完璧なものはなく、常に発展を目指していくという前提において。もし一切批判がなければ、どこが悪かったのか、どこを変えていけば今後より良くなっていけるのかが誰にもわからない。今"良い"として、それが永遠に続くわけではない。

また、プラスの感情だから誰も不快にしていないと考える事は危険でもある。
例えば「もうすぐ彼氏と結婚♡幸せ♡」というのはハッピーな話題だが、彼氏と別れたばかりの人が見たら悲しくなるかもしれない。その"彼氏"が自担だったら、嫌な気持ちになるファンもいる。
「こんなファンサ貰った♡」は発信者にとってはプラスの感情でも、それを見て落ち込んだり妬んだりする人だっている。
「今までで一番のDVD」は褒め言葉だが、自担のいないDVDを一番と言われて傷ついた大倉担もいる。(勿論他メンバーのファンも)
この言葉を『結婚おめでとう!お幸せに!』『ファンサ貰えてよかったね!』『そうだよね一番いいよね!』と受け止められる人もいる。
結局は、その情報(感情)がプラスかマイナスかという点だけではなく、受け手の状況による事も多い。

(例がアレで恐縮だが、センテンススプリングのLINEやり取りを見て病的なポジティブも怖いなと思った。"ポジティブでなければ"という強迫観念に近いものを感じる)

 

批判のメリット

・問題点が明確になり、改善できる
・マイナスの感情を発散できる

批判を受けるという事は、そこを改善すればより良くなるという事でもある。

また、自分の中に不満を溜め込む鬱々としてしまうタイプの場合、言葉にする事で発散できる場合もある。
私の場合はこれに近い。「嫌だー!こんなの嫌だー!」と口に出す事で『ああ、私はこういう事をされると嫌なんだな』と発見する事もあるし、「ここがこうだから嫌だ」と文章化する事で頭が整理され、気持ちが落ち着く事もある。

(元気DVDへの批判記事については、最初は書くつもりではなかった。完全に諦めていて、文章化するエネルギーなど残っていなかった。しかし、「ここがこう良かったよ」ときちんと説明されている文章を読んで、『ああ、良いところがないわけではないのかもしれないな』と思えるようになった。だからこそ自分の考えを整理する努力ができ、結果的にはかなりスッキリした。書いたのは自分のためだが、記事を読んでくださった方から「思っている事を言葉にできずもやもやしていたが、スッキリした」という反応を頂いた事も嬉しかった)

 

批判のデメリット

・悪い点が強調される
・マイナスの感情が人を不快にする


 

ネガキャンとは

 
最後の『批判のデメリット』について。
何かを悪く言う・批判する事を指して「ネガキャン(=ネガティブ・キャンペーン)」と言われる事があるが、それは少し違う。

ネガティブキャンペーン【negative campaign】
相手の政策上の欠点や人格上の問題点を批判して信頼を失わせる選挙戦術。また,広告で他社商品の短所を強調する宣伝方法。
三省堂 大辞林
 
ネガティブキャンペーンとは - 日本語表現辞典 Weblio辞書

元々は選挙用語であり、「対立相手を貶める事で相対的に自分を高める」のがネガキャンである。

具体例を出すと「嵐は歌が下手(→それに比べてエイトは上手い)」「AKBはダンスが下手(→それに比べてハロプロは上手い)」というように好きなものを褒めるためにそうでないものを貶す事もネガキャンの一種だと思うが、私はこういう論調が好きではない。褒めたいのなら、褒めたい方の良い点を褒めればいい。

「批判ばかりで不快(→それに比べて批判しない自分は素晴らしい)」「批判しているのは本当のファンではない(→それに比べて批判しない私は本当のファン)」というような論調になってしまっては、結果的にネガキャンしているのは、批判を非難している側になりはしないだろうか。


 

他人の意見を許容する

 
私は称賛だけが素晴らしいとも、批判だけが素晴らしいとも思ってはいない。どちらにもメリットがあり、デメリットがある。
どちらかと言うと称賛か批判かという点よりも、"きちんと論じられているか"というところに重点を置いている。(ディベート体質なのだと気付いた)
その反面「マジめっちゃ最高だったからみんな見て聞いて遊びに来て!!!!!」という情熱に溢れた記事やツイートも好きだ。
それぞれに良さがあり、優劣をつける必要はない。

自分の意見を持つこと。
他人も同じように意見を持っていると認め尊重すること。
どんな発言や意見にも、他人を幸せにする可能性と不快にする可能性があるという自覚を持つこと。

それが、大切なのではないだろうか。

(「自分の意見を持つ」とはいっても、白黒はっきりつけるだけが意見ではない。「きのこの山たけのこの里もどっちも美味しいから別によくない?」というのも意見だし、「どっちもそんなに好きじゃない、カールの方が好き」というのも意見)


 

快適に過ごすために

 
自分が嫌だからと言って、「私が不快だからやめろ」と他人に強要するのはあまりに横暴だ。世界は1人を中心に回ってはいない。

「ここが嫌」と批判する事と、「批判が嫌」と表明する事は結局『自分が嫌な事を嫌だと言っている』という点においては同じで、どちらの意見も尊重されるべきだし、どちらも他人に対する強制力はない。

色んな意見があって疲れる。わかる。そういう時は、見なければいいんですよ!他人の意見を読むのは義務ではない。Twitterやブログをしばらく見なくても、世界は回る。無理して読んだり、処理しようとする必要は全くない。1人の発言が気に入らないならフォローを外せばいいし、ブログが嫌なら読まなくていい。称賛と批判が行き交って疲れる、周りの意見に左右されそうで怖いと思うなら、わざわざ見る必要はない。その自由は、万人にある。



できるだけ多くの人が、ストレスなく楽しめる事を願います。


 

*1:「否定的な意見は、愛をもってしか書かない」と決めているので、嫌いなものについては基本的には触れない。

*2:2015/01/07「ホンマでっか!?TV」